原豊(歌唱指導)

関わってくださった方々全ての「宝物」

これは文句なしに「宝物」です。私にとっても、島根県にとっても、
スタッフ、キャスト、 関わってくださった方々全ての「宝物」です

Q2.「あいと地球と競売人」に、どのように関わってこられましたか?

何と言っても馬庭悟堂氏と死に物狂 いで取り組んだ初演が第一歩です。
二人で誰より早く稽古場に行き、会場作りをしました。雪の日も凍結した日も・・・。

それから20年を過ぎましたが沢山の方々の熱い思いで継続してきたことに心からの感謝をしています。

ミュージカルと合唱の違いに悩み、苦労しました。今でも全てストンと落ちているわけではありませんが・・勉強中です。

 

Q3.「あいと地球と競売人」に関する印象的なエピソードは?

作品が完成するまでの焦燥感でしょうか。
台本は前年の8月には完成していますが、故平吉先生の筆が遅く、何度も上京して作曲をして頂くようにお願いをしました。
5~6回は上京しました。

そして完成は出雲市駅前のホテルで早朝に完成しました。
なんと完成したのが坪田愛華さんの命日。
何というめぐりあわせでしょう。

実行委員会の面々は「もう、諦めて他の作品を」という意見が強い中、上京して「何としても何としても」という気持ちでいました。

 

Q4.過去の略歴、及び現在のことを教えて下さい!

一介の公立学校の音楽教員でした。
退職して10年です。現在は依頼を受けて合唱の出前授業に汗をかいています。
大きな喜びと使命感を持っています。

Q5.「あいと地球と競売人」の仲間に向けてのメッセージをお願いいたします。

スタッフ、キャストの強い熱いスクラムで何としても感動的な舞台を創り上げましょう!
私も微力ですが精一杯頑張ります。